グレンエルギン 1995-2017 21年 53.1% BBR 復刻ラベル。佇まいはクラシカル、味わいは現代的。それとこの日のバーでの会話について。

クラシカルな佇まいと、新しく華やかな中身。(それとバーでの四方山話)

目次


GLEN ELGIN 1995-2017 21Y. 53.1% BBR Retro Label


評価:★★ Recommend!

CP:☆☆☆☆

価格:★☆


ボトル紹介

BBR復刻ラベルから、デザイン変更後の第一弾ボトル。


スコットランドはスペイサイド地域の蒸留所であるグレンエルギンから、1995年蒸留の21年もの。シングルカスク、カスクストレングスです。

このボトルはボトラーのBerry Brothers & Rudd社(BBR)がリリースしている通称「レトロラベル/復刻ラベル」と呼ばれているシリーズの一本です。BBRが大昔に販売していたものの復刻デザインで、2017年に書体の変更、肩ラベル追加などマイナーチェンジが行われています。マイナーチェンジ後最初のボトルがこのグレンエルギンで、国内販売第二弾はウェストポート(グレンモーレンジのティースプーンモルト)が予定されています。

このボトルは福島県いわき市のREVOLBAR(リボルバー)さんでいただきました。

今回が初来訪だったにも関わらずマスターの柴野さんには非常に良くしていただき、本当に快適に過ごすことができました。この場をお借りしてあらためてお礼申し上げます。

REVOLBARホームページ:https://www.revolbar.com

REVOLBARアメブロ:https://ameblo.jp/revolbar/


味わい

外見はクラシカルだが中身は現代的。バーボンカスクの個性の乗った華やかなグレンエルギン

味わいは適度な熟成感を伴う麦芽香を主体としつつ、2010年代以降にリリースされた近年グレンエルギンらしい華やかさです。樽と熟成、酒質が上手くマッチした香味が特徴です。クラシカルな外見と現代的な中身の対比が面白いです。

2000年代初頭くらいまでにリリースされていたグレンエルギン(ホワイトホース・グレンエルギン)はその当時のスペイサイドモルトの中でもほんのりと内陸ピートが効いているややクラシカルなタイプの味わい(大昔のスペイサイドモルトはほんのりとスモーキーで、その味わいを僅かに継承していた)だと認識しているのですが、このボトルはいわゆるスペイサイドモルトと言われて真っ先に思い浮かぶようなフルーティーで華やかな個性が麦芽香とともに感じられる仕上がりで、バーボンカスクによる熟成がそれを引き立てていると感じました。

ニューリリースなので抜栓直後は香味がやや閉じているかも知れません。その場合は時間をかけて香味を開かせながら飲み進めることをお勧めします。

美味しいボトルであり、価格としても値頃感があると感じたためRecommend!としています。

今回テイスティングノートが非常にあっさりとしているのは飲む量が少なかったからで、私がそれなりにボリュームのあるテイスティングノートを書くためにはもう少し量を飲む必要があるようです。

これは今後の課題ですね。


テイスティングノート(バー飲みのため簡易版)

香り:芳醇な麦芽香、ニッキ飴、切ったばかりの洋梨、アプリコットや林檎の甘い香り。

口当たり:度数相当のしっかりとした口当たり。雑味なく綺麗な香味。フルーツが開く。

余韻:口当たりを引き継ぐ。


この日のバーでの長いお話

テイスティングから話は逸れますが、この日は様々な偶然が重なって、閉店まで多くのことを語り合った一日でした。

たまにはそういう、バーで起こった出来事について書いてみたいと思います。

この日、私がグレンエルギンをちょうど飲み終わったあたりで、私より少し年上の男性客がREVOLBARにやってきました。

彼が私から一つ離れた席に通されたので、私は接客の邪魔にならないよう、これから始まる二人のやりとりをBGMにしながら静かにチャーム(バーで出されるお通しのこと)を口に運ぶことにしました。すぐに控えめで親密なやりとりが始まりました。気の置けない挨拶、軽い冗談、談笑。実は今日は飲みたいウイスキーがありましてと彼。おや、いつも水割りなのに珍しい、何をお探しですかと半ば真面目に、半ば茶化して柴野さん。笑う二人。それから彼が

「飲みたいウイスキーというのは、ホワイトホースなんですよ。置いてありますか?黒澤明監督が好んで飲んでいたということを最近知って興味が湧きまして。」

と尋ねました。柴野さんは少し申し訳なく、少し困ったような顔になり、うちではホワイトホースは取り扱っていないと彼に告げました。彼は少し意外そうな、それから少し残念そうに首を斜めに傾けました。

彼の気持ちは理解できます。わざわざ足を運んだのに目当てのものに出会えなかったわけですから。ただホワイトホースとREVOLBAR双方の名誉のために弁明するなら、このお店にホワイトホースが置かれていないことは全く意外なことではありません。ただ、そう言い切れるだけの理由を知ってもらうためには、ホワイトホースとREVOLBARの両方について知ってもらう必要があると思うので、少しだけ説明します。

まずホワイトホースについて簡単に説明すると、ホワイトホースは1881年創業と長い歴史を持つ世界的に有名なブレンデッドウイスキーで、現在国内で流通しているものはファインオールドと12年の2種類、度数はどちらも40%です。そしてこの2種類は現在はどちらも非常に安価で売られています。ファインオールドが1000円前後、12年でも2000円前後でしょうか。加えて非常に入手が容易です。なお、あまり知られていませんがホワイトホース12年は日本市場限定品です。こうした価格と入手性を実現できているのは、ホワイトホースがその長い歴史の中で培ってきたブランドイメージを最大限に生かした、おそらく経済学的に正しい販売戦略を採った結果です。大量生産が可能な(つまり安価な)グレーンウイスキーを多く使い、味わいを均質にし、安く、世界中のどこでも簡単に入手できるようデザインされています。日本国内でも容量換算で輸入スコッチウイスキー売上ナンバーワンです。

それを踏まえた上でREVOLBARについて説明すると、一度行けば分かるようにREVOLBARは素晴らしく良いバーです。ここで言う「素晴らしく良い」というのは、敷居は高くないのに落ち着いていて特別な空気感があり、マスターの柴野さんは気さくな方で、価格も都内のバーと比べると信じられないくらいリーズナブルで、ウイスキーに対してかなり熱心なバーであるということです。

もう少し踏み込んで説明すると、有能な指揮者がオーケストラの構成楽器全ての音色にどこまでも繊細に神経を行き届かせ、自分の音楽世界を構築すべく指揮棒を振るうように、REVOLBARのバーテンダーである柴野さんは自分のお店で取り扱うお酒全てに細やかな配慮を行き渡らせています。お店の中にはここ15年ほどで発売されたシングルモルトウイスキーを中心に様々なお酒が取り揃えられ、かつ適切に配置されています。

私が伺った時はカウンターの最も入り口に近い端、お店にやって来た全ての人に見られる位置には、当時最も話題となり今後も特別な存在であり続けるであろう、ラフロイグ蒸溜所とラガヴーリン蒸留所の200周年記念ボトルが一揃えずつ、同じ棚の中に同じ高さで整然と並べられていました。バックバーの一番高い位置からは、マッカランのオールドボトルのような愛好家垂涎のウイスキーが心地よい緊張感を持ってバー全体を見下ろし、入荷したばかりのボトル(今回紹介したグレンエルギンもそうです)は、座ったお客さんから最も近い位置であるバーカウンターの上に、前に出過ぎないよう、節度を保ちながら慎重に置かれていました。

つまりどういうことかというと、せっかく自分のお店に来てくれたのであれば、ホワイトホースよりもっと特別なお酒を提供できる自信が柴野さんはあるわけで、それに足るだけの品々をしっかりと準備した上でカウンターの向こう側に立っていたということです。

安価で大量に売るということと特別感があるということはどこかでトレードオフを生み出すので、申し訳ありませんが今のホワイトホースが選りすぐられたREVOLBARのラインナップと競い合ってスタメン入りを果たすのは、はっきり言って無理どころか、ベンチを温めることすら望めないと思います。簡単に言ってしまうと戦うフィールドが違うのです。これは草野球を楽しんでいる人と本気で甲子園を目指している人の違いのようなもので、どちらがいいとか悪いとかいうことではありません。

そんなわけでREVOLBARにホワイトホースは置かれておらず、それは別に意外なことでも何でもないのです。

そうこうしているうちに、ほとんど隣同士でしたし柴野さんの助けもあったので、私も彼らの話の輪に加わることになりました。黒澤明の話に興味があったので私のほうから話に混ぜてもらったかたちです。彼は熱のこもった口調で、黒澤映画における光と影のコントラストの見事さと監督自身の人生に起こった様々な出来事を、同様の視点で対比しながら、色々な話をしてくれました。

彼が震災後の福島のルポルタージュを書くために北海道からいわき市に赴任してきた新聞記者であることはこのとき知りました。当時は私自身も仕事の関係で震災直後の福島に赴いたことがあったので、少しの間、三人で当時の状況や風景について静かに語り合ったりしました。

私は彼の話を聞きながら、人生において光や影と呼ばれるような出来事は、ある種の作品(あるいは人生そのものかも知れません)の中で相対的な意味を帯びるからこそ互いに響き合い、作品を作品たらしめているのかも知れないというようなことを考えました。

話が一段落し、次の注文をどうしようかというところに戻ってきました(それまで彼はいつもと変わらず水割りを飲んでいたような気がします)。繰り返しますがホワイトホースはありせん。ありませんが、先程まで我々は光と影という大きな枠組みについて話し合っていました。私は黙って話を聞いていた時から、重なり合ったいくつかの偶然が自然と積み上がり、そろそろ必然を生み出すポイントを通過しそうだと感じていたので、そうした大きな流れの中に、この後に続く彼の注文を委ねてみたいと思っていました。

それから「ホワイトホースはありませんが、ホワイトホースに使われている原酒ならありますよ。」と、自分が飲んでいたグレンエルギンを彼に紹介しました。

思った通り、彼はとても興味を示してくれ、私は聞かれるままにブレンデッドウイスキーとシングルモルトウイスキーの違いを簡単に説明し、マスターがそれを丁寧に補足してくれました。もちろん彼はグレンエルギンを注文し、ひとしきり堪能しました。

光と影が相対的に響き合うなら、グレンエルギンをひとしきり堪能した彼が更にその次に注文するのは、ラガヴーリンでなくてはなりません。ラガヴーリンもグレンエルギンと同じように、ホワイトホースという作品の有名な構成原酒の一つであるとともに、味わいにおいてグレンエルギンの対極に位置するシングルモルトだからです。

今度は私が話し始め、それを受けて柴野さんは彼にラガヴーリン16年のボトルを棚の奥から出して見せました。彼はそれを注文して一口飲んだ後、これらが混ざっているホワイトホースというウイスキーがどういう味わいなのか全く想像出来ない、と言って笑いました。光と影が相対的であるということと、入り口と出口が同じ扉を異なる側から見るということは似ているというようなことが、私の頭の中にふと浮かびました。

話は進み、ホワイトホースが今ではありふれたウイスキーであることを知って彼は少し落胆した様子でしたが、黒澤明監督が好んで飲んでいた頃のホワイトホースが今で言うところの高級品だったということと、味わいも全く違っていたということは付け加えておきます(彼にも伝えました)。黒澤明が映画監督としての芸術的信念に基づいて辣腕を振るっていた1950年代後半から1960年代頃は、当時の酒税法により輸入ウイスキーに高い関税がかけられていましたし、その頃のホワイトホースといえば雑酒表記や特級表記のシールが貼られたティンキャップのボトルで、今ではホワイトホースのオールドボトルの中でもとりわけ貴重な存在です。状態にもよりますが今とは比べ物にならないくらい重厚で複雑な味わいをしています。使われている原酒の酒質や構成比率も全く違うのでしょう。

こうしてこの日は本当に楽しい時間が過ぎて行きました。お互いがたまたま持っていたピースを持ち寄ったらパズルが一つ完成したような、不思議な充実感がありました。彼も同じように感じてくれたのだとしたら何よりだと思います。彼と私、杯を重ねた二人のグラスからはお酒がなくなり、お互いの間に緩やかな繋がりが残りました。こういうことはそんなに頻繁にあるわけではありませんが、私はこれをバーの持つ前向きな作用の一つだと思っていて、私がバーに足を向ける楽しみの一つであり、理由の一つであると思っています。

私にとってもこのグレンエルギンは思い出深いボトルになり、後日個人的にも一本抱えました。抜栓した時にはその日のことを思い返すでしょうし、その時にも自分自身を振り返りながら光と影について多くのことを考えるでしょう。

数日後に帰宅した私は、彼にオススメされた黒沢映画『乱』を近くのレンタルショップですぐに借りました。以前観たことはあったのですが、あらためて観てみると、光と影に彩られた鮮烈な映像全てに意味があり、160分以上があっという間に過ぎてしまいました。彼が熱心に語ってくれたおかげで鑑賞後の余韻もとても長く、素晴らしい映画鑑賞になりました。

もう一つ付け加えると、あの日私は彼に今まで読んだ本でお勧めは何かを尋ねていました。文章を書くことを仕事にしている人に直接尋ねる中々ない機会だと思ったからです。その時に彼から勧められた石牟礼道子作『苦海浄土』という作品は、彼と話したその場でネット注文していたので、帰宅後にはもうポストに届いていました(便利な世の中です)。一介の主婦であった石牟礼道子が、故郷の熊本を襲った水俣病という近代日本最大の公害をテーマとして、彼女自身の生涯を捧げて執筆された渾身の作品です。非常に有名な作品だったのですが、恥ずかしながら私はこのとき初めて知りました。内容や文体、描写全てが重厚かつ身を切るように鮮烈で、あの日静かに話し合った福島原発の当時とも重ね合わせて読むことのできるものでした。

私があの日ホワイトホースをきっかけにして彼にグレンエルギンとラガヴーリンを紹介したのと同じように、彼も黒澤明監督作品の話をきっかけにして、光と影の中で重なり合った偶然と必然を巡る大きな仕掛けの締めくくりとして、この本を私に紹介してくれたのではないかと考えたのは、私が『苦界浄土』を読み終わった後です。

いつかまたREVOLBARで、話の続きができたらいいなと思っています。その時には本のお礼をしなくてはいけません。

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